東洋思想と干支
干支(えと)は、天干地支(てんかんちし)ともいいます。
太陽のまわりや動物の誕生から終焉までを10等分して表現した「十干」と、月の満ち欠けや作物の芽吹きから収穫までを12等分して表現した「十二支」を組み合わせることで、世の中の循環、大いなる意思が司る天地の理を探ろうとしたもの、十干×十二支が「干支」です。日・月・年のそれぞれにあてられ、60日、60か月、60年などをあらわします。
そもそも干支は、未来に起こることを知るための占い的な要素を持っています。東洋思想における時間は、未来から過去へと流れており、神仏や大いなる意思、自然の摂理によって未来は既に定められていて、それが我々の元に降りかかってくると考え、東洋の占いは基本的には未来を知るため、読むためのものです。
それに対し西洋思想では、未来は過去から続くそこに至るまでのプロセスの結果として存在しており、過去から未来へと流れるという思想であり、時間の流れの概念が東洋思想と反対なのです。西洋の占いは、未来を良い結果に導くために今何をすべきかを問うものに対し、東洋の占いは、この先自分の身に降りかかってくる定められた未来の出来事を知り、それに備えるためのものとしての存在なんですね。
東洋思想では、お天道様が定めた未来を人ごときが変えることはできないが、未来の自分に降りかかってくる事象を前もって知ることができれば、それに備えることはできる。という備えあれば患いなしの心構えですね。まさに未来天気予報なわけです。
明日は夕方から雨が降りそうだとわかっていれば傘を持って家をでる。来年は厄年だから気を付けて過ごし、神社に厄祓いに行こうといった具合です。
お金や出会いの運気の巡り合わせをあらかじめ知って、それを逃さないように風水の力を借り、自分の望むより良い未来を天が授けてくれるよう願掛けやお参りをする。
現代の私たちはこの西洋思想の概念で時間を生きているため、東洋思想の源に流れている大和ごころを忘れ、未来を読む力が弱まってきてしまっているように思えます。
厄祓いに関しても、その意味について何も感じず、厄年とされている年齢になったから、特にどこでということもなく知っている神社でお祓いするだけの人が多いのではないでしょうか。
東洋思想では、言葉や文字には天意が表れると信じられてきました。人間が動物と決定的に違うのは言葉を持つという点にあり、その言葉こそが天が人間に授けてくれた能力であると考えたからなのです。文字というのは言葉を写したものですから、当然文字にも天意が宿っていると考えたわけです。